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特集:御嶽山
信仰の山・生薬の宝庫、ふたつの顔を持つ、御嶽山
 
御山は快晴、六根清浄!! 木曽は、今も「生薬の宝庫」 木曽路の伝統食「朴葉巻き」  
 

木曽は、今も「生薬の宝庫」

 
 

昔から木曽には薬種となる草根木皮が多く、活、独活、附子、前胡、黄連、升麻、茜根、白朮、蒼朮、半夏、細辛、五味子、天南星、車前子、赤芍薬、白芍薬、桃仁、杏仁、牛蒡子、莵糸子、土通草、木通、弟切草、牡丹皮、桑白皮、竹節人参、イボタ、秦皮、沙参、白根人参、香、牛膝、商陸、龍胆、当薬龍胆、伏苓、遠志、貝母、桔梗、山帰来、皀莢、金銀花、依蘭苔、野菊花、約五十余種が採取されてきました。当時木曽でも尾張や江戸の本草学の影響を受け、代官山村家の侍医三村道益や、山村家の薬園を管理していた小倉為助らの本草学者が輩出し、この豊富な薬草に着目し、木曽の住民に薬草の採取や栽培を奨励しました。
 
その中でも「百草」に含まれる代表的な生薬のキハダ(黄柏)のエキスは、健胃整腸薬として利用されていたが、江戸時代には陀羅尼助、百草、練
熊などの名称で売薬として住民にとけ込んだ家庭常備薬でした。


  ”だらすけは 腹よりはまず 顔にき“
 
これは天保時代の川柳であるが、この句はだらすけがかなり住民に普及していた事実をあらわしています。「百草」は普寛行者の授けた遺法にもとづき、山麓の村人が苦心の末、その製法を身につけたもので、起源は嘉永2年(1849)と伝えられ、以来、御嶽信仰と結びついた霊薬として広められてきたのです。
 

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